フィリピン
概要
障害者の現状
障害者の統計
障害関連の政策と法律
障害者の教育
障害者の就労
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社会保障制度
障害関連施設・リハビリテーションセンター
参考資料
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障害者運動の歴史

ニノミヤ(1999:94-96)は、「DPIの歴史」として、フィリピンの障害者団体の生い立ちを報告しており、それをまとめると以下のようになる。まずフィリピンDPIの設立は、1981年12月にシンガポールで開催されたDPI設立会議にフィリピンから参加したダニエル・デルフィン氏(車イス使用者)が、同じ障害をもつ8名に声をかけ、DPI設立準備委員会をつくった。そして1984年にフィリピン障害者団体(PMKI)が結成され、政府登録団体として承認された。会長は、ダニエル・デルフィン氏が選出された。彼は政府から助成金を得て、第一回障害者全国総会をマニラで開催しており、その時は約100人の障害者が参加した。しかしPMKIの理事と政府関係者の対立から、PMKIは政府助成金を得ることが困難になり、その後一時活動を停止している。

1990年7月に、第二回障害者全国総会がバコロド市で開催された。この時のテーマは「完全参加と平等の理念に基づいて、障害者の市民権を実現して行こう」となっている。目的は、①全国組織の強化、②障害者の市民権の強調、③障害者自信が参加することによって地方レベル、全国レベルの障害者に関する計画や法律を制定することを推進する、④障害者団体と連携して、地域をあげて、個々の障害者の地位の向上を目指す、であった。このとき、新しい会長としてオーロラ・エステローラ氏が選出されており、組織名もフィリピン障害者連合会(KAMPI)に改名されている。KAMPIは、身体・視覚・聴覚・知的障害など、あらゆる障害者の全国組織として、自助自立を目指す団体として結成されている。結成当初は7州の11支部で発足した。

90〜92年の間にKAMPIは大きく成長し、地方に約50の組織が支部として作られた。99年5月の時点で全国に300以上の支部があり、それらは62州、46市、108郡にまたがっている。各支部から会費が集められ、KAMPI本部の運営資金に当てられている。94年にエステローラ氏がアメリカに留学し、その後、第四回全国障害者総会が開かれ、ビーナス・イラガン氏が会長に選出された。彼女は、エステローラ氏が作った基礎を大きく発展させ、デンマークから支援を受け、「刺激と治療活動センター(STAC)」を設立し、CBRを用いて障害児の支援を実施している。ビーナス氏の推定によれば、KAMPIのメンバーは約8万人である。