第5章 結論と提言

第1節 結論 

第1項 タイ障害者運動の特質

タイの障害者運動は、イギリス、アメリカ、日本と異なり、既存福祉制度に対する批判や告発という背景から誕生したものではなかった。むしろ国際的な障害者運動の影響を受け、権利や差別に気づいた障害者が始めたものだった。海外の影響を受け誕生した障害者運動は、まず法律の制定を目指して活動を始めている。社会への啓発、政府へのロビー活動、法案の作成など、国際社会から多くを学んだ障害者リーダーたちは積極的に活動し、タイ初の障害者の生活を保護する法律の制定に成功している。

その後、物理・情報のアクセシビリティの要求や自立生活運動の促進など、イギリス、アメリカ、日本と同様の流れで、障害者の権利を主張していく。自立生活運動は、特に日本からの技術移転を受け、現在、7ヶ所に自立生活センターを開所するまでに至っている。

そして、最初の法律が障害者の権利を十分に守ることができないと気付いた障害者たちは、新しい法律の制定に取りかかることとなる。ちょうどこの時、国際社会でも障害者の権利条約制定の動きが活発化し、タイの国内法の整備と権利条約の制定作業が同時に進行することになった。タイでは、法律の制定が一時停滞するが、クーデターが発生し、暫定政権下で国会の承認を得ることに成功する。と同時に、権利条約も国連で採択され、タイの障害者は、権利条約の最終案を法案に反映させることにも成功している。法律の制定に際しては、イギリスやアメリカと同様に、国会で理解を得るのに苦労しているが、タイでは幸か不幸かクーデターという政変によって、一気に法案が成立している。

タイでは、障害の社会モデルに則った障害者の権利や社会改革の要求、自立生活運動の推進、差別や偏見の軽減に向けた社会啓発活動などが実施されているが、社会モデルに対する理解は基本的なものにとどまり、タイ社会における社会モデル実践などの議論はほとんど見られなかった。「障害は前世の罪である」という考えも、仏教の誤った理解による社会通念であることを、タイ社会はもとより障害者が何処まで理解しているか定かではない。

その反面、「仏教の心の解放が障害者のエンパワメントに役立つ」とするタイ障害者の障害観は非常に興味深い。これまでの北側諸国における障害の社会モデルの文脈では語られてこなかった視点だと考えられる。またタイの障害者リーダーが戦略的かつ具体的な活動を実施し、法案の成立と権利条約の批准に成功した功績は大きい。途上国の障害者は、福祉においても国際開発においても「弱者」と見られがちだが、タイの障害者運動は、タイに優秀な障害者リーダーがいることを証明したのではないか。

第2節 国内支援施策と国際協力への提言

1.自立生活センターの普及

「障害の社会モデル」を基礎としたエンパワメント法は成立しているが、タイ社会において「障害の社会モデル」や「障害者の権利意識」はまだ十分に浸透していない。また北側諸国と比べ、福祉サービスも十分に整備されていないタイでは、障害者が相互に支援し合い、情報を共有し合えるような地域における障害者の自助団体が必要だと考えられる。その意味で、「自立生活センターの活用」は非常に有効である。なぜなら、自立生活センターは単なる障害者の自助団体というだけでなく、重度障害者を対象とし、地域における介助サービスやカウンセリング・サービスなども提供できるほか、障害者のエンパワメントや社会モデルの普及など社会啓発にも役立つと考えられるからである。つまり自立生活センターは、自助組織の活動を深め、補足し、さらに権利意識を高めて障害者運動の担い手として支えていくことが可能である。

ただし自立生活センターは、政府の福祉制度によって補助されることが求められる。障害者の福祉予算を自立生活センターに割り当てることができれば、全国的に自立生活センターを展開することも可能となる。センターの運営やサービス提供の方法は、すでに日本から技術移転されているので、既存の7つの自立生活センターを中心に地方に展開することができるのではないか。またこの時、寺院とも交流し、仏教の正しい教えとして障害を理解できれば、障害者差別の軽減や社会参加にも有効に機能するのではないか。

2.仏教と障害の社会モデルの共存

仏教と障害者団体の相互理解、可能であるなら連携を促進する方が、障害者に対する差別や偏見の軽減、障害者の心の解放に通じると思われる。少なくとも仏教の教えが「障害の社会モデル」と相反する考えではないことを、タイの障害者、国内外の支援関係者は理解しなければならないだろう。その上で、仏教と障害に関する間違った社会通念を正すために必要な方策を検討し、対策を講じなければならない。事実、ユダヤ教やキリスト教でも「障害を罪や罰」とする考えはあった[*39]。その欧米社会で、「障害者の権利」や「社会モデル」という考えが確立されている。つまり、障害に対する負の概念があるからと言って、「障害の社会モデル」や「権利主張」が成り立たない訳ではない。したがって、タイ社会における間違った社会通念である障害者差別を払拭することは、十分に可能だと考えられる。さらにその上で、仏教の教えが障害者のエンパワメントにも有効という意見に注目し、自助団体や自立生活センターにおいて、その実践を試みることも有効であろう。

3.適切な医療ケアについての検討

タイ障害者の自己体験から分かるように、タイでは障害者に対するリハビリテーションやカウンセリングが少なく、十分な医療ケアを受けられずに病院から退院させられる障害者が多い。家族にも本人にも、自分の身体的な機能制限に対する説明がないため、その対処方法も知らされないまま退院させられている。結果として、家族は適切な支援方法が分からず、障害者を放置する、もしくは障害者自身も自暴自棄となり希望を見いだせなくなる、などの事象が見られる。イギリスや日本のように、施設管理や抑圧が横行するのは論外だが、福祉制度が整備されていないタイにおいて、医療やリハビリテーションの専門家に社会モデルに則った障害者ケアの方法を技術移転することは、十分に意義があることだと考えられる。

4.障害学導入の検討

タイでは「障害の社会モデル」に対す理解が障害当事者の間でもまだ十分とは言えない。海外研修や自立生活研修で「社会モデル」や「障害者の権利」について勉強しているが、学術的な領域まで発展していない。今後は、タイ社会で「障害の社会モデル」に基づいた「障害者の社会参加」を進めて行く必要があり、その意味で、理論的な裏付けが必要になるだろう。タイ社会における「障害の社会モデル実践」の研究を進め、障害学にまで発展させることは、タイに限らず途上国の「障害者の社会参加」にとって意義があると思われる。

*39 「古代のユダヤ教は多くの障害を悪事の徴として見なしており、障害者は不潔で不誠実なために、人々から隔離するということが正当化されていた」。またキリスト教にも障害を治療や支援の対象と見ている一方で、罰への罪として解釈している。(バーンズ2004;33)