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障害者運動が法律制定に与えた影響

リハビリテーション法制定における障害者の関与

DPIタイの設立当初の目的が、「障害者に必要な法律について議論し、障害者のための法律制定を政府に働きかけること」であったため、DPIタイにとって障害者法を成立させることは、設立当初からの主目的であった。

DPIタイは、障害者法の必要性を訴えるためにUSAIDから支援を取り付け、全国キャンペーンを展開し、年に2~3回のペースで啓発セミナーを実施している。また若手障害者リーダーも運動に呼応し、バンコクでデモやキャンペーンを実施している。運動に深く関与したのが、現ナコンパトム自律生活センター所長のティラワット氏であった。彼は、障害者の問題を解決するには法律が必要だと信じていた。1985年からは法律に関する勉強会も始め、翌86年には草案を作成し内務省社会福祉局へ持ちんでいる(中西の資料では、1984年に草案を作成している)。この時、法案作成に貢献したのが、現タマサート大学法学部教授で視覚障害者のウィリヤ・ナムシリポンパン氏(Wiriya Namsiripongpan)であった。

運動を開始した当初、政府は障害者の意見に耳を傾けなかった。しかし障害者が自ら法案を作成し始めた頃から、徐々に障害者の意見を取り入れるようになり、1989年には、DPIタイの草案を取り入れた「リハビリテーション法」の法案が内務省の承認を得ている。その後、内閣に3回草案が提出され、結局、1991年8月13日に、クーデター後の暫定議会によって、タイで最初の障害者法が基本的に承認された。その後、法案は司法委員会で修正され、再度承認を得るために国会に提出された。「リハビリテーション法」が立法化されたのは、同年10月25日である。

リハビリテーション法に基づいた1994年の省則によって、タイで初めて障害者の呼び方が統一され、障害の種類も具体的に規定された。また障害者登録制度も開始された。障害者として登録されると障害者手帳が発効され、医療費の無料化、車イスなど福祉機器の給付、生活手当として毎月500バーツが支給された。また従業員200名以上に対し障害者1人を雇用する障害者雇用率制度も導入された。

エンパワメント法制定における障害者・団体の関与

1991年のリハビリテーション法成立後、法の執行やモニタリングなどを管轄する国家リハビリテーション委員会が設置された。また労働・社会福祉省の元に、リハビリテーション委員会の事務局が設置された。リハビリテーション委員会には、課題別小委員会が設置され、小委員会のひとつでは、リハビリテーション法の改訂案に関する議論が始まった。

また2001年にタクシン政権が発足すると、障害者をメンバーに含めた「障害に関する首相への諮問委員会」が設置された。メンバーには、現タイ上院議員で視覚障害者のモンティアン・ブンタン (Monthian Buntan)氏がいた。モンティアン氏は、国連の障害者権利条約特別委員会にタイ政府代表として参加していた。

その後、課題別小委員会は、エンパワメント法の法案を完成させ、労働・社会福祉省の承認を受けた後、内閣に法案を提出している。しかしこの時、政治家の反対を受け、法案は成立しなかった。そんな中、2006年9月にタイでクーデターが発生し、同年10月に暫定憲法が公布された。この時、タイの障害者は、新しい憲法の差別禁止条項に「障害」という文言を含むことに成功している。また2007年7月には、クーデター後の暫定議会時にエンパワメント法の法案を提出し、同年12月に法案の成立にも成功している。